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主祭神
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天照皇大神 神武天皇
神八井耳命(カミヤイミミノミコト)
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相 殿
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素盞嗚男命(スサノオノミコト)
櫛稲田姫神(クシナダヒメノミコト)
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配 祀
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阿蘇神社祭神十二座
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境内社
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大歳神社 雨宮社 天神社
本社は神武天皇の皇子神八井耳命の王子健磐龍命(タケイワタツノミコト)、神武七十六年(紀元前585年)三月、阿蘇国に封ぜられ降臨の際、行宮を此地に建てられ、先ず祀りに斉廷を定め、天照皇大神、神武天皇、神八井耳命を祀り給いし神跡にして、三十四代舒明天皇十二年(西暦640年)六月、阿蘇大宮司の草創せられし古社なり。同時に阿蘇の十二柱を勧請し見立大明神と称す。第八十二代後鳥羽天皇建久元年(1190年)六月十五日、素盞嗚男命を相殿として祀り祇園宮と称す。
阿蘇大宮司惟次岩尾在城の時、加冠の社と尊崇し長子惟義を貞慶元年(1222年)十月十五日冠礼なさしめしに依り、社号を男成宮と称えまつり、両益城宇土三郡の惣鎮として神領弐百五十町寄附あり。阿蘇家十七代在城の間は必ず当社に於いて冠礼を行わせられたり。天正年中に至り阿蘇へ帰館の後は元服の礼武は廃絶したけれども、一代一度は必ず参詣ありとの伝承あり。孝明天皇安政二年(1855年)二月近火の為類焼し、文久二年(1862年)本殿再建、続いて明治九年(1876年)拝殿を再建し今日に至る。
住時肥後八社の一として国主藩主の宗敬厚く、明治改革に際しては明治八年郷社となり、明治四十年二月熊本県神饌饌幣帛料共進社に指定せられる。